鋼の兜を叩き割る、すさまじい切れ味。日本刀は現代でこそ美術品ですが、古来では戦いに使用するための武器でした。日本史における合戦では、兵達は己の命をその手に持つ刃にあずけます。日本史の概要に触れながら、平安以前~江戸以後まで日本刀が活躍した各時代の主な合戦をご紹介します。

作られた時代で分類される日本刀

作られた時代で分類される日本刀

飛鳥時代年表

飛鳥時代は推古天皇が即位した6世紀終わりから、710年(和銅3年)の平城京遷都までの約100年間を指すと言われています。
奈良県の飛鳥地方を政治の中心とした時代であり、この時代に朝鮮半島の百済という国から仏教が伝来しました。また聖徳太子の政治改革や中大兄皇子・中臣鎌足の「大化の改新」、国を支配するための決まりで、日本史で初めて登場する法律「大宝律令」制定がなされたのもこの頃であり、政治的に飛躍した時代です。
一方で国内外において戦いが発生しており、朝鮮半島との「白村江の戦い」や、皇位争いの「壬申の乱」も起こっています。白村江の戦いでの大敗を機に、日本の防備が固められることとなりました。

政権保持者 合戦/主な出来事

662-672年

天智天皇

663 白村江の戦い

645年(皇極4年)に「中大兄皇子」(なかのおおえのおうじ)、「中臣鎌足」(なかとみのかまたり)らによって「蘇我入鹿」(そがのいるか)を暗殺して蘇我氏を滅亡させた「乙…

白村江の戦い

672年

弘文天皇

672 壬申の乱

「壬申の乱」(じんしんのらん)は672年(天武天皇元年)、皇室内において「天智天皇」(てんじてんのう)の後継者争いが原因で勃発しました。絶大な権力を誇った天智天皇が崩…

壬申の乱

673-686年

天武天皇

686-690年

※天武天皇の死後2年半にわたって葬儀が行なわれる等したため、間が空く

690-697年

持統天皇

697-707年

文武天皇

701 大宝律令

日本刀の価値を判断するには、その姿が持つ美しさや制作当時の時代背景など、様々な物がありますが、その基準となるルールも多く存在します。そのひとつが、飛鳥時代末から奈良時…

大宝律令

奈良時代年表

奈良時代は710年(和銅3年)の平城京遷都から、784年(延暦3年)の長岡京遷都までの約70年間を指します。平城京は官公庁が集中する「平城宮」を中心とした都であり、当時の中国だった唐の都・長安をモデルとして、碁盤の目のように区画されていました。
奈良時代では日本史における初の本格的な流通貨幣「和同開珎」、土地の所有を認める「墾田永年私財法」などが登場します。また法律に基づいた天皇中心の国家体制が整備されるとともに、大宰府をはじめとした地方を治める拠点「国府」が置かれました。なお、奈良時代は政府の保護のもとで仏教が栄えた時代。東大寺や興福寺、薬師寺などの大きな寺院が作られた他、仏教の力で国を守ろうと聖武天皇の命で全国的に国分寺・国分尼寺が設置されています。

政権保持者 合戦/主な出来事

707-715年

元明天皇

710 平城京への遷都

奈良県奈良市にある国立公園「平城宮跡歴史公園」(へいじょうぐうせきれきしこうえん)は、かつて「平城京」と称される都が築かれていた跡地です。平城京は、710年(和銅3年…

平城京への遷都

712 古事記

「古事記」(こじき)とは、世界の始まりから神々の出現、天皇家における皇位継承の経緯などが描かれた書物であり、序文と上・中・下の3巻から構成されています。古事記は、日本…

古事記

715-724年

元正天皇

752 東大寺建立

奈良県奈良市にある「東大寺」は、奈良時代に都を襲った厄災から、国家の隆昌(りゅうしょう:栄えること)と民衆の安寧を祈願するために建立された寺院。そしてその東大寺には、…

東大寺建立

724-749年

聖武天皇

749-757年

孝謙天皇

757-764年

藤原仲麻呂

764 藤原仲麻呂の乱

「藤原仲麻呂の乱」(ふじわらのなかまろのらん)は、764年(天平宝字8年)「藤原仲麻呂」が当時対立していた「孝謙上皇」(こうけんじょうこう)と側近の僧侶「道鏡」(どう…

藤原仲麻呂の乱

764-772年

称徳天皇・道鏡

平安時代年表

平安時代は794年(延暦13年)の桓武天皇による平安京遷都から、12世紀後半に鎌倉幕府が開かれるまでの約400年間を指します。奈良時代の後半には寺院が力を持つようになり、桓武天皇はこの勢力から離れるため、都を移したのです。
平安時代初期には決まりに基づき国を支配する律令制が見直されていましたが、9世紀後半には貴族・藤原氏が政治の実権を握りました。また、日本史に武士が登場するのは平安時代です。勢力を強めた武士のなかでも「平氏」が政権を持ちますが、「源氏」が平氏を打倒。源頼朝によって鎌倉幕府が開かれたことにより平安時代は終わりを告げます。
なお、平安時代の遣唐使廃止後は、日本独自の国風文化が発展。「かな文字」の発明、源氏物語や枕草子などの文学作品の登場、独特の建築様式「寝殿造」の発達などが特徴です。

キャラクター画像を選択していただくと
各キャラクターの紹介ページをご覧いただけます。

政権保持者 合戦/主な出来事

772-781年

光仁天皇

平安京遷都

781-806年

桓武天皇

784 長岡京への遷都

781年(天応元年)に即位した第50代天皇「桓武天皇」(かんむてんのう)は、784年(延暦3年)、都だった「平城京」を捨て、「長岡京」へ遷都しました。しかし、桓武天皇…

長岡京への遷都

806-809年

平城天皇

810 薬子の変

「薬子の変」(くすこのへん)とは、平安時代初期の810年(大同5年)に起こった政変です。806年(大同元年)に即位した第51代天皇「平城天皇」(へいぜいてんのう)は、…

薬子の変

809-823年

嵯峨天皇

823-833年

淳和天皇

833-850年

仁明天皇

850-858年

文徳天皇

858-891年

藤原氏

866 応天門の変

「応天門の変」(おうてんもんのへん)は、平安時代であった866年(貞観8年)に発生した宮廷内の政変です。天皇の居所「大内裏」(だいだいり)にあった正殿「八省院」(はっ…

応天門の変

891-896年

宇多天皇

894 遣唐使廃止

894年(寛平6年)、約260年続いていた「唐」(とう:現在の中国)に使節を派遣する「遣唐使」(けんとうし)が廃止されました。日本の政治と文化の発展に多大な影響をもた…

遣唐使廃止

896-930年

醍醐天皇

930-949年

藤原忠平

939 平将門の乱

「平将門」(たいらのまさかど)は、武士ながら、桓武天皇(かんむてんのう)の血筋を引く高貴な人物。935年(承平5年)から940年(天慶3年)にかけて起きた「平将門の乱…

平将門の乱

949-967年

村上天皇

967-1068年

藤原氏

1051 前九年の役

「前九年・後三年の役」とは、平安末期の陸奥国・出羽国(東北地方)で起こった2大戦役で、陸奥国の俘囚(ふしゅう:朝廷の支配下にある蝦夷[えぞ])と源氏との間に起きた戦争…

前九年の役

1068-1129年

白河上皇

1083 後三年の役

「後三年の役」は、平安末期の1083年(永保3年)~1087年(寛治元年)に起こった、奥州の支配者・清原氏の内紛に、陸奥守(むつのかみ)である源義家が介入して起きた戦…

後三年の役

1086年: 院政の開始

1129-1156年

鳥羽上皇

1156 保元の乱・平治の乱

「源平合戦」とは、狭義では1180年(治承4年)~1185年(元暦2年)の「治承寿永の乱」を指し、広義では、1156年(保元元年)の「保元の乱」から1192年(建久3…

保元の乱・平治の乱

1156-1167年

後白河天皇
(法皇)

1167-1179年

後白河法皇・
平清盛

1167 平清盛が太政大臣に

平安時代末期の武将で、武家政権を樹立したことで知られる「平清盛」(たいらのきよもり)。1167年(仁安2年)、平清盛は、朝廷から武士として初めて「太政大臣」(だじょう…

平清盛が太政大臣に

1179-1183年

伊勢平氏

1180 源平合戦(治承・寿永の乱)

1180年(治承4年)、源氏と平家の争いである「源平合戦」のクライマックスである「治承・寿永の乱」が始まります。ここで源平合戦最大のヒーロー・源義経の活躍が繰り広げら…

源平合戦(治承・寿永の乱)

1183-1185年

後白河法皇

1185 壇ノ浦の戦い

「壇ノ浦の戦い」が起こったのは平安時代末期の1185年(元暦2年/寿永4年)3月24日のこと。長門国赤間関壇ノ浦(現在の山口県下関市)を舞台としたこの戦いで、栄華を極…

壇ノ浦の戦い

鎌倉時代年表

鎌倉時代は12世紀後半に源頼朝が鎌倉幕府を開いてから、1333年(正慶2年)に鎌倉幕府が滅亡するまでの約150年間を指し、日本史における中世はこの時代から始まると言われています。
源頼朝の死後は、その妻・北条政子の家系である北条氏が政権を握るようになりました。この間、朝廷側の反乱「承久の乱」、アジアを広く支配していたモンゴル帝国の襲来「元寇」が起こっています。元寇の際に報酬が十分与えられなかったため、将軍と主従関係を結んでいる「御家人」は不満を持ち始めました。さらに幕府が発布した御家人のための借金帳消し令「徳政令」で経済は混乱。そんななかで後醍醐天皇が足利尊氏、新田義貞とともに立ち上がり、鎌倉幕府を滅亡させたのです。

キャラクター画像を選択していただくと
各キャラクターの紹介ページをご覧いただけます。

政権保持者 合戦/主な出来事

1185-1192年

後白河法皇・
源頼朝

1185 鎌倉幕府とは

「鎌倉幕府」は、1185年(文治元年)「源頼朝」(みなもとのよりとも)によって鎌倉(現在の神奈川県鎌倉市)に樹立された武家政権。その後、明治維新まで続く武家政権の礎に…

鎌倉幕府とは

1192-1196年

九条兼実・
源頼朝

1192 奥州合戦

「壇ノ浦の戦い」での平家滅亡後、源氏は天下を取りますが、これでめでたし、という訳にはいきませんでした。実戦で活躍した「源義経」と、権力者である兄「源頼朝」の間に確執が…

奥州合戦

1196-1219年

後鳥羽天皇
(上皇)
・源氏

1221 承久の乱

「鎌倉幕府」の成立は、日本初の本格的武家政権の誕生を意味していました。これにより、天皇を中心とした政治は、事実上終焉。朝廷の影響力は低下していきます。朝廷にとって特に…

承久の乱

1219-1221年

後鳥羽上皇
北条政子

1221-1224年

北条義時

1224-1242年

北条泰時

1232年: 御成敗式目

1242-1246年

北条経時

1246-1256年

北条時頼

1256-1264年

北条長時

1264-1268年

北条政村

1274 元寇(蒙古襲来)

1266年(文永3年)、日本に元(旧モンゴル帝国)から届いた「手紙」。これは、のちに2度の「元寇」(蒙古襲来)を勃発させる手紙です。元寇(蒙古襲来)は、簡単に言うと「…

元寇(蒙古襲来)

1268-1284年

北条時宗

1284-1301年

北条貞時

1297年: 永仁の徳政令

1301-1311年

北条師時

1324 正中の変

1324年(正中元年)、「後醍醐天皇」(ごだいごてんのう)は鎌倉幕府の討幕を計画したという疑いをかけられました。これが「正中の変」(しょうちゅうのへん)。正中の変は「…

正中の変

1311-1312年

北条宗宣

1312-1315年

北条熙時

1315-1316年

北条基時

1316-1326年

北条高時

1326年

北条貞顕

1331 元弘の乱

鎌倉幕府は、約150年続いた武家政権です。しかし、「文永の乱」と「弘安の乱」の2度に亘る「元冦」や、幕府とつながりを持たない新しい武士「悪党」(あくとう)の横行で、次…

元弘の乱

1326-1333年

北条守時

南北朝時代年表

南北朝時代は2人の天皇が存在していた、日本史のなかでも特殊な時代です。
足利尊氏ら武士の助けを借りて鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇は、天皇中心の政治「建武の新政」を始めます。貴族には手厚いものの、武士をないがしろにした建武の新政に、武士達は不満を持ちました。そんななか、足利尊氏は後醍醐天皇を朝廷のある京都から追放。新たな天皇を即位させるとともに、室町幕府を開きます。一方で、後醍醐天皇は吉野(現在の奈良県)で天皇を名乗り続けていました。約60年間、奈良の「南朝」と京都の「北朝」、2つの朝廷が対立していた南北朝時代ですが、室町幕府3代将軍・足利義満によって1392年(明徳3年)、南北朝合一がなされたのです。

キャラクター画像を選択していただくと
各キャラクターの紹介ページをご覧いただけます。

政権保持者 合戦/主な出来事

1333-1336年

後醍醐天皇

1334年: 建武の新政

1335 延元の乱

「延元の乱」(えんげんのらん)とは、「足利尊氏」(あしかがたかうじ)ら足利氏と「後醍醐天皇」(ごだいごてんのう)の建武政権との間で起こった一連の戦いのことです。133…

延元の乱

1336-1392年

南朝
北朝(足利氏)

1336 湊川の戦い

1336年(建武3年)、摂津国湊川(せっつのくにみなとがわ:現在の兵庫県神戸市)で「足利尊氏」(あしかがたかうじ)率いる尊氏軍と「新田義貞」(にったよしさだ)、「楠木…

湊川の戦い
1338年: 足利尊氏が征夷大将軍となる

1338 室町幕府とは

「室町幕府」は、1338年(暦応元年)に、「足利尊氏」(あしかがたかうじ)によって京都に樹立された武家政権です。鎌倉幕府の政策を踏襲しつつ、各国の支配を一任した守護大…

室町幕府とは

1359 筑後川の戦い

多くの豪傑と呼ばれる武将達が、名誉や領土獲得のために、命をかけて合戦に挑んでいた戦国時代。この時代には、歴史に残る合戦が、幾度となく行われていました。数ある歴史に名高…

筑後川の戦い

1389 土岐康行の乱

「土岐康行の乱」(ときやすゆきのらん)は、1389年(康応元年)から1390年(明徳元年)にかけて起きた事件。室町幕府3代将軍「足利義満」に挑発された守護大名「土岐康…

土岐康行の乱

1391 明徳の乱

「明徳の乱」(めいとくのらん)は、1391年(明徳2年/元中8年)に有力守護大名「山名氏清」(やまなうじきよ)と「山名満幸」(やまなみつゆき)が室町幕府に対して起こし…

明徳の乱

1392-1394年

足利義満

1392 南北朝合一

南北朝時代は、「南朝」と「北朝」2つの朝廷が並存した時代のこと。皇統が2つに分裂したことで到来し、1336年(建武3年/延元元年)から1392年(元中9年/明徳3年)…

南北朝合一

室町時代年表

室町時代は、1336年(建武3年)に足利尊氏が室町幕府を開いてから、1573年(天正元年)に、室町幕府最後の将軍・足利義昭が追放されるまでと言われています。なお、南北朝合一までを南北朝時代、応仁の乱以降を戦国時代と呼ぶこともあります。
室町時代は3代将軍・足利義満の頃に最盛期を迎えました。この頃「金閣」が建てられ、当時の中国・明との貿易も開始されました。1467年(応仁元年)からは8代将軍・足利義政の跡継ぎ争い「応仁の乱」が勃発。国内は混乱し、各地に戦国大名が台頭していきます。特に、織田信長は15代将軍・足利義昭を京都から追放。室町幕府を滅亡させました。
また室町時代は日本史にキリスト教が登場した時代である他、鉄砲も伝来し、戦国大名らに大きな影響を与えています。

キャラクター画像を選択していただくと
各キャラクターの紹介ページをご覧いただけます。

政権保持者 合戦/主な出来事

1394-1423年

足利義持

1404年: 勘合貿易の開始

1423-1429年

足利義量

1438 永享の乱

「永享の乱」(えいきょうのらん)は、1438年(永享10年)に関東で起こった戦乱です。この戦は「鎌倉公方」(かまくらくぼう:室町幕府が設置した鎌倉府の長官)であった「…

永享の乱

1429-1442年

足利義教

1442-1449年

足利義勝

1449-1473年

足利義政

1455 享徳の乱

「享徳の乱」(きょうとくのらん)は1467年(応仁元年)から11年間にわたる「応仁の乱」(おうにんのらん)に先駆けて、関東で起こった戦乱です。戦いは断続的に28年間続…

享徳の乱

1467 応仁の乱

室町幕府が衰退した理由とも言われる「応仁の乱」。11年という長い争いにより、戦国時代へと続くきっかけとなった応仁の乱はなぜ起こったのでしょうか。室町幕府の悲劇とも言わ…

応仁の乱

1473-1489年

足利義尚

1487 長享の乱

「長享の乱」(ちょうきょうのらん)が起こったのは、1487年(長享元年)です。そのきっかけは、京都を舞台に10年間続いた「応仁の乱」(おうにんのらん)によって室町幕府…

長享の乱

1490-1493年

足利義材

1493-1549年

細川氏

1511 船岡山合戦

「船岡山合戦」(ふなおかやまがっせん)は、1511年(永正8年)8月に京都の船岡山周辺で起こった合戦です。船岡山は京都市北区紫野北船岡町にある標高111.7mの小さな…

船岡山合戦

1531 大物崩れ

室町時代に幕府の管領(かんれい:将軍を助け政務を統括する者)の座を巡って争いを繰り広げたのが、「細川高国」(ほそかわたかくに)と、「細川晴元」(ほそかわはるもと)です…

大物崩れ

1543年: 鉄砲伝来

1549年: キリスト教伝来

1549-1564年

三好長慶

1553 川中島の戦い

「川中島の戦い」とは、1553年(天文22年)~1564年(永禄7年)の12年間、5回に亘る伝説の合戦の総称です。宿敵である甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信が、北信濃の…

川中島の戦い

1555 厳島の戦い

「厳島の戦い」(いつくしまのたたかい)は戦国大名「陶晴賢」(すえはるかた)と「毛利元就」との争いであり、のちに日本三大奇襲戦と呼ばれるようになりました。厳島の戦いでは…

厳島の戦い

1560 桶狭間の戦い

1560年(永禄3年)5月19日、日本の歴史を動かす大きな合戦が起こりました。「桶狭間の戦い」です。27歳の織田信長が4,000人ばかりの兵を味方に、2万5千人もの今…

桶狭間の戦い

1564-1568年

三好義継

1568 観音寺城の戦い

1568年(永禄11年)に「箕作城」(みつくりじょう:現在の滋賀県東近江市)と「観音寺城」(かんのんじじょう:現在の滋賀県近江八幡市)を舞台に起こった戦いが「観音寺城…

観音寺城の戦い

1568-1573年

織田信長
(織田氏)

1570 姉川の戦い

1570年(元亀元年)の6月に起こった「姉川の戦い」(あねがわのたたかい)では「織田信長」・「徳川家康」勢と「浅井長政」(あざいながまさ)・「朝倉景健」(あさくらかげ…

姉川の戦い

1570 金ヶ崎の戦い

1570年(元亀元年)、越前国敦賀郡金ヶ崎(現在の福井県敦賀市金ヶ崎町)で織田信長・徳川家康率いる「織田・徳川連合軍」と「朝倉義景」(あさくらよしかげ)率いる「朝倉軍…

金ヶ崎の戦い

1572 二俣城の戦い

「二俣城の戦い」(ふたまたじょうのたたかい)とは、1572年(元亀3年)に起こった「徳川家康」軍と「武田信玄」軍による「二俣城」(静岡県浜松市天竜区)を巡る攻防戦です…

二俣城の戦い

1572 三方ヶ原の戦い(徳川家康×武田信玄)

天下を統一し、江戸幕府を開いた「徳川家康」は「物吉貞宗」(ものよしさだむね)など数多くの日本刀を愛した人物としても知られています。徳川家康が日本刀を愛するようになった…

三方ヶ原の戦い(徳川家康×武田信玄)

安土桃山時代年表

安土桃山時代は、織田信長が京都入りした1568年(永禄11年)、もしくは室町時代が終わった1573年(天正元年)から、江戸時代が始まるまでの時期だとされています。織田信長と豊臣秀吉が活躍した時代であり、織田信長が鉄砲を活用した「長篠の戦い」、日本史のなかでも特に有名な事件と言われる「本能寺の変」は安土桃山時代に起こりました。また織田信長による政治では自由に商売ができる「楽市・楽座」、豊臣秀吉による政治では土地の検査「太閤検地」と士農分離がなされた「刀狩」が実施されています。
天下を統一した豊臣秀吉ですが、死後に徳川家康の権力が強くなり、徳川家康側の軍と豊臣家重臣を中心とした軍が「関ヶ原の戦い」で戦うこととなりました。

キャラクター画像を選択していただくと
各キャラクターの紹介ページをご覧いただけます。

政権保持者 合戦/主な出来事

1573-1583年

織田信長
(織田氏)

1573 一乗谷城の戦い

「宗三左文字」(そうざさもんじ)や「薬研藤四郎」(やげんとうしろう)などの日本刀を愛していたことで有名な戦国大名が「織田信長」です。数々の戦いで勝利を収めてきた織田信…

一乗谷城の戦い

1573 小谷城の戦い

「小谷城の戦い」(おだにじょうのたたかい)は、「織田信長」と「浅井長政」(あざいながまさ)の間で起きた戦いです。この戦いは、浅井家が滅亡するきっかけとなっただけでなく…

小谷城の戦い

1574 第一次高天神城の戦い

現在の静岡県掛川市にあった「高天神城」(たかてんじんじょう)は、戦国時代に「高天神城を制する者は遠江(とおとうみ)を制す」と言われるほど、戦略的な拠点に建てられた難攻…

第一次高天神城の戦い

1575 長篠の戦い

1575年(天正3年)4月、織田信長が名実ともに天下人となった、歴史上非常に重要な合戦「長篠の戦い」が起こりました。織田・徳川連合軍が、戦国最強と言われた武田軍を相手…

長篠の戦い

1581 第二次高天神城の戦い

遠江国(現在の静岡県西部)支配の要となる「高天神城」(たかてんじんじょう:静岡県掛川市)を巡り、1574年(天正2年)に「武田勝頼」(たけだかつより)と「徳川家康」の…

第二次高天神城の戦い

1582 本能寺の変

1582年(天正10年)6月2日、日本の歴史上屈指の大事件が発生しました。「本能寺の変」です。明智光秀が13,000人もの大軍を率いて、京都・本能寺に宿泊中の織田信長…

本能寺の変

1582 天正壬午の乱

1582年(天正10年)2~3月に「織田信長」が行った「甲州征伐」(こうしゅうせいばつ:別称「武田征伐」)によって「武田氏」が滅亡しましたが、その3ヵ月後には「明智光…

天正壬午の乱

1582年: 太閤検地

1582 山崎の戦い

1582年(天正10年)6月2日、「本能寺の変」で命を落とした織田信長。それを知った豊臣秀吉は信長の敵を討つために中国遠征を中断し、約2万の全軍で京を目指しました。そ…

山崎の戦い

清洲会議

「清洲会議/清須会議」(きよすかいぎ)は、「明智光秀」が起こした「本能寺の変」によって、自害した「織田信長」の後継者を決めるために開かれた会議です。代表的な出席者は、…

清洲会議

1583 賤ヶ岳の戦い

1582年(天正10年)6月13日に起こった「山崎の戦い」で、織田信長の仇を討った羽柴秀吉。「清洲会議」で織田信長の後継者争いをした柴田勝家と徐々に対立が深まっていき…

賤ヶ岳の戦い

1583-1586年

空白

1584 小牧・長久手の戦い

「小牧・長久手の戦い」(こまき・ながくてのたたかい)は、1584年(天正12年)3~11月に行なわれた、「羽柴[豊臣]秀吉」陣営と「織田信雄[おだのぶかつ]・徳川家康…

小牧・長久手の戦い

1585 四国平定

「四国平定」(しこくへいてい)は、1585年(天正13年)6~8月にかけて、四国を舞台として起こった、「羽柴秀吉」(のちの「豊臣秀吉」)と「長宗我部元親」(ちょうそか…

四国平定

1586-1598年

豊臣秀吉

1587 九州平定

「織田信長」の死後、関白にまで昇り詰めた「豊臣秀吉」は、日本全国の統一を成し遂げるために動き出します。当時、九州で勢力を強めていた「島津義久」(しまづよしひさ)の台頭…

九州平定

1588年: 刀狩令

1592 文禄の役

天下統一を成し遂げた「豊臣秀吉」。貧しい農民から天下人にまで上り詰めた男の目は、日本国内に止まらず、海の向こうに向けられていました。そんな天下人が目を付けたのは明(み…

文禄の役

1597 慶長の役

「文禄の役」において明と交わした講和による休戦状態は、長くは続きませんでした。講和内容が、両国の交渉担当者が通謀して自国に都合の良いように書き換えられた物だったからで…

慶長の役

1598-1600年

豊臣秀頼

1600 関ヶ原の戦い

1600年(慶長5年)、天下分け目の戦いと言われた「関ヶ原の戦い」。この戦いは、約6時間でその勝敗が決まったと言われています。「徳川家康」の率いる東軍が「石田三成」の…

関ヶ原の戦い

江戸時代年表

江戸時代は徳川家康が江戸幕府を開いた1603年(慶長8年)から約270年間続いた時代であり、日本史における近世に分類されます。1615年(慶長20年)の「大坂夏の陣」で豊臣氏を滅亡させた徳川家が、名実ともに全国を支配することになりました。
江戸幕府の支配体制は地方に大名を配置し、「藩」と呼ばれる領地を守らせる「幕藩体制」です。大名も「武家諸法度」を作って統制しました。また「享保の改革」「寛政の改革」など、様々な改革もなされています。なお、江戸時代はその閉鎖性も特徴で、キリスト教徒への脅威から貿易相手を限った「鎖国」を実施。しかし1853年(嘉永6年)、ペリー来航によって鎖国は解除され、数々の事件・戦いが起こる怒涛の幕末へと向かいます。1867年(慶応3年)、政権は朝廷へと返され、江戸幕府は終わりを迎えました。

キャラクター画像を選択していただくと
各キャラクターの紹介ページをご覧いただけます。

政権保持者 合戦/主な出来事

1600-1605年

徳川家康
(初代将軍)

1603 江戸幕府とは

1603年(慶長8年)、「徳川家康」が征夷大将軍に任命され「江戸幕府」を開きました。江戸幕府は、室町時代から続いてきた戦乱の世に終わりを告げ、265年におよぶ長期政権…

江戸幕府とは

1605-1623年

徳川秀忠
(2代将軍)

1614 方広寺鐘銘事件

「方広寺鐘銘事件」(ほうこうじしょうめいじけん)とは、江戸時代に方広寺(現在の京都府京都市東山区)の鐘に書かれた銘文をめぐって起こった事件のことです。銘を書いたのは「…

方広寺鐘銘事件

1614 大坂冬の陣

1614年(慶長19年)11~12月、大坂で豊臣軍と徳川軍が対峙する合戦が発生しました。「大坂冬の陣」です。開戦後、早々に大坂城での籠城戦を選択し、当初は徳川軍と互角…

大坂冬の陣

1615 大坂夏の陣

1615年(慶長20年)4~5月。豊臣家と徳川家は、再び大坂の地で相まみえます。もっとも「冬の陣」とは違い、情勢は徳川軍の圧倒的優勢。そのため、豊臣軍の兵達にとっては…

大坂夏の陣

1615 武家諸法度

「武家諸法度」(ぶけしょはっと)は、江戸幕府の2代将軍「徳川秀忠」が公布した全国の大名達に規範を示した法令です。3代将軍「徳川家光」の時代には「寛永令」(かんえいれい…

武家諸法度

1623-1651年

徳川家光
(3代将軍)

1629 踏み絵の導入

江戸時代に入ると、幕府は鎖国政策を採ってキリスト教を弾圧するようになります。その中で江戸幕府は、キリスト教信者をあぶり出すために、「踏み絵」(ふみえ)と呼ばれる制度を…

踏み絵の導入

1635 参勤交代

「参勤交代」は、江戸時代にあった制度のひとつ。徳川将軍家に対する軍役奉仕を目的とした制度であり、諸大名は1年交代で、江戸と領地それぞれに在住することが義務付けられてい…

参勤交代

1637 島原の乱

1637年(寛永14年)12月11日から1638年(寛永15年)4月12日の間、日本の歴史上最大規模の一揆が発生しました。九州西部に位置する島原半島と天草諸島の領民が…

島原の乱

1651-1680年

徳川家綱
(4代将軍)

1657年: 明暦の大火

1680-1709年

徳川綱吉
(5代将軍)

1685 生類憐みの令

「天下の悪法」と評された「生類憐みの令」(しょうるいあわれみのれい)は、江戸幕府5代将軍「徳川綱吉」(とくがわつなよし)によって制定されました。1685年(貞享2年)…

生類憐みの令

1701 元禄赤穂事件

江戸時代において「仇討ち」(あだうち)は、武士に許されていた合法な制度であり、届け出さえすれば、仇討ちを実行することが認められていました。「元禄赤穂事件」(げんろくあ…

元禄赤穂事件

1709-1712年

徳川家宣
(6代将軍)

1716年: 享保の改革

1713-1716年

徳川家継
(7代将軍)

1716-1745年

徳川吉宗
(8代将軍)

1732 享保の大飢饉

1732年(享保17年)に「享保の大飢饉」(きょうほうのだいききん)が発生し、西日本の諸国は、甚大な被害を受けました。享保の大飢饉は、「天明の大飢饉」(てんめいのだい…

享保の大飢饉

1745-1760年

徳川家重
(9代将軍)

1782 天明の大飢饉

「天明の大飢饉」(てんめいのだいききん)とは、1782~1788年(天明2~8年)にかけて起きた大飢饉であり、「享保の大飢饉」(きょうほうのだいききん)、「天保の大飢…

天明の大飢饉

1760-1786年

徳川家治
(10代将軍)

1786-1837年

徳川家斉
(11代将軍)

1787年: 寛政の改革

1808 間宮海峡の発見

1808年(文化5年)、江戸幕府からの命を受けた北方探検家の「間宮林蔵」(まみやりんぞう)は、「松田伝十郎」(まつだでんじゅうろう)と共に「樺太」(からふと)へ調査に…

間宮海峡の発見

1825 異国船打払令

日本において、江戸時代初期から鎖国政策を実施していた江戸幕府。しかし、江戸時代後期になると、アメリカやイギリスなど欧米諸国の船が日本近海に現れ、交易を求めて日本に接触…

異国船打払令

1833 天保の大飢饉

江戸時代の日本の気候は寒冷で、たびたび冷害や洪水が起こったと記録されています。異常気象が原因で凶作となり、飢饉が起こることが少なくありませんでした。なかでも「江戸四大…

天保の大飢饉

1837 大塩平八郎の乱

「大塩平八郎の乱」とは、江戸時代後期の1837年(天保8年)に「大塩平八郎」(おおしおへいはちろう)らが大坂(現在の大阪府大阪市)で起こした反乱のこと。社会科の教科書…

大塩平八郎の乱

1837-1853年

徳川家慶
(12代将軍)

1839 蛮社の獄

「蛮社の獄」(ばんしゃのごく)とは、1839年(天保10年)に起こった、対外政策として鎖国を続けていた江戸幕府の「異国船打払令」(いこくせんうちはらいれい)により、ア…

蛮社の獄

1853 ペリー来航

江戸幕府が外国船の入船や交易を制限する「鎖国政策」を敷く中、突如「浦賀」(現在の神奈川県横須賀市)に現れた4隻の黒い戦艦。日本と通商を希望するアメリカから、武力により…

ペリー来航

1853 明治維新とは

1853年(嘉永6年)、アメリカの「ペリー」率いる艦隊が、日本に開国を求めて浦賀に来航したことを発端に、徳川家による江戸幕府の統治体制が崩壊。1867年(慶応3年)、…

明治維新とは

1853-1858年

徳川家定
(13代将軍)

1854 日米和親条約

「日米和親条約」(にちべいわしんじょうやく)とは、1854年(安政元年)に江戸幕府とアメリカ合衆国によって締結された条約で、別名「神奈川条約」と呼ばれます。のちに締結…

日米和親条約

1858 安政の大獄

江戸時代末期は欧米の文化や影響が流入し、日本が大きく変わった時期です。特に1853年(嘉永6年)に「マシュー・ペリー」の率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊が日本に来…

安政の大獄

1858 日米修好通商条約

日本では1639年(寛永16年)~1854年(嘉永7年)まで200年以上にわたって鎖国政策が採られていました。鎖国政策とは主にキリスト教国であるスペインとポルトガル人…

日米修好通商条約

1858-1866年

徳川家茂
(14代将軍)

1860 桜田門外の変

「桜田門外の変」は、尊皇攘夷派(そんのうじょういは:天皇を守るために外国勢を排除する思想を持った一派)の浪士が起こした大老「井伊直弼」暗殺事件のこと。事件後、幕府の権…

桜田門外の変

1862 寺田屋事件

江戸時代末期は様々な事件が起こった怒涛の時期でした。なかでも印象的な事件として「寺田屋事件」(てらだやじけん)が挙げられます。京都市伏見区にある寺田屋という旅館で起こ…

寺田屋事件

1863 薩英戦争

「薩英戦争」(さつえいせんそう)は、幕末(江戸時代末期)に、薩摩藩とイギリス艦隊との間に起こった戦争のことです。その引き金になったのは、1862年(文久2年)8月、当…

薩英戦争

1864 池田屋事件

「池田屋事件」は、1864年(元治元年)6月5日に京都で起こった、「新撰組」による尊王攘夷派(そんのうじょういは:天皇を守るために外国勢を排除する思想を持った一派)弾…

池田屋事件

1864 禁門の変

天皇の住まいで御所は決して侵してはならない場所として、かつて「禁裏」(きんり)と呼ばれていました。1864年(元治元年)、その御所への入口である門のひとつ「蛤御門」(…

禁門の変

1864 第一次長州征伐

「長州征伐」(ちょうしゅうせいばつ)とは、1864年(元治元年)と1866年(慶応2年)に江戸幕府が倒幕勢力の中心であった長州藩を処分するために出兵した出来事です。代…

第一次長州征伐

1866 第二次長州征伐

「第一次長州征伐」(だいいちじちょうしゅうせいばつ)ののち、長州藩では、倒幕を掲げる「改革派」が主流となり、これを知った幕府は藩主に江戸に出て説明するよう言い渡したり…

第二次長州征伐

1866 薩長同盟

幕府による「長州藩」(現在の山口県)への第2次長州征討が刻一刻と近づくなか、京都・二本松にある「薩摩藩」(現在の鹿児島県)の藩邸に敵対しているはずの長州藩士「桂小五郎…

薩長同盟

明治時代年表

明治時代は1868年(明治元年)の明治新政府樹立から明治天皇崩御までの45年間を指します。日本史のなかでも急速に近代化が進んだ時代であり、大日本帝国憲法の発布、藩ではなく県を置く「廃藩置県」などが実施された他、教育制度や鉄道、郵便なども誕生。身分制度も廃止され、皇族以外はすべて平等になります。
また欧米諸国に対抗するため、「富国強兵」をスローガンに経済の発展と軍事力の強化も目指していました。一方で明治時代の初め頃は、新政府軍と旧幕府軍の争いである「戊辰戦争」、旧武士階級による新政府への反乱である「西南戦争」が起こっています。
また明治時代は日清戦争・日露戦争と2つの戦争を経験した時代。中国の一部や朝鮮半島を支配下に置き、勢力を伸ばしていきました。

政権保持者 合戦/主な出来事

1868年~

明治政府

1868 明治政府とは

260年以上続いた徳川家による江戸幕府が終わり、1868年(慶応4年)1月、天皇を中心とした新しい政府「明治政府」が成立します。同年3月、明治政府の基本方針として「五…

明治政府とは

1877 西南戦争

「西南戦争」(せいなんせんそう)とは、1877年(明治10年)の2月15日から9月24日まで続いた、日本国内で起こった最後の内戦。「明治維新」の立役者である「西郷隆盛…

西南戦争

江戸から明治時代初期の
日本地図

江戸から明治時代初期の日本地図
日本史/全国の合戦・古戦場(地域別)
日本全国にある古戦場を地域から検索してご覧いただけます。
戦国武将の合戦戦略
戦国の世を生き抜いた戦国武将の合戦戦略について解説します。
日本史 武将・著名人事典
歴史上の人物と著名な刀工の名前を一覧にした事典についてご紹介します。

刀剣・日本刀に秘められた幾多の魅力を皆様にお届けする、刀剣の専門サイト・バーチャル刀剣博物館「刀剣ワールド」。こちらのページは「日本史/合戦歴史年表」のトップページです。
一口に刀剣・日本刀と言っても、実は歴史が長い刀剣・日本刀。あなたが知らない新事実もまだまだたくさんあるかもしれません。刀剣・日本刀・甲冑(鎧兜)に関する様々な記事があるので、ぜひご覧ください。
また、刀剣ワールドでは、他にも刀剣・日本刀に関するコンテンツをご用意しております。刀剣ワールドをご覧いただき、刀剣・日本刀についての新しい知識を学んでください!

もっと見る▼
注目ワード
注目ワード